長野市交響楽団のあゆみ

長野交響楽団に改称(1954.1.30)

昭和29年1月30日、ファンシー・サロン・アンサンブルを「長野交響楽団」に改称しました。発会式が長野簿記学校で開催されました。団員数は44名。この時点では、名称に“市”が付いていません。松本交響楽団や諏訪交響楽団と同様に「長野交響楽団」となっています。
長野市交響楽団の名称を初めて使用したのは昭和30年4月17日の第8回定期演奏会。 なぜ「長野市交響楽団」になったのか、柳田元理事長が、その由来を創立50周年記念誌「風雪」において語っています。
当時、年に数回、長野市の市民会館(城山小学校の講堂や南部小学校の講堂が指定されていた)を借りて演奏会を開いていました。入場料だけでは赤字続きで困ったので市長に「演奏会の場合、使用料を免除してほしい」と陳情したところ、暫くして教育長から「市長からの話で、演奏会に市の施設を使う場合、使用料はすべて無料とする。この楽団は市の行事、例えば成人式のような場合には無料で演奏する。今後、名称を〈長野市交響楽団〉とする。」という話があり、かくして現在の長野市交響楽団が生まれたのです。

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長野市交響楽団プロフィール
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